東京高等裁判所 平成2年(ネ)3991号 判決 1991年7月11日
控訴人 住宅・都市整備公団
右代表者総裁 丸山良仁
右代理人 松田愼一郎
右訴訟代理人弁護士 渡辺一雄
同 大橋弘利
右指定代理人 笠原嘉人
<ほか三名>
控訴人補助参加人 塚本總業株式会社
右代表者代表取締役 塚本清士郎
右訴訟代理人弁護士 橋本公明
被控訴人 菊岡幸吉
右訴訟代理人弁護士 佐藤鋼造
主文
一 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人の本訴請求を棄却する。
三 控訴人の反訴請求に基づき、被控訴人は、控訴人に対し、原判決添付別紙物件目録記載の各土地について同添付別紙登記目録一記載の仮登記に基づく本登記手続をせよ。
四 訴訟費用は第一、二審を通じ、本訴反訴とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一申立
一 控訴人
1 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の本訴請求を棄却する。
3(当審における新請求)
被控訴人は、控訴人に対し、原判決添付別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地」という。)について同添付別紙登記目録一記載の仮登記(以下「本件仮登記」という。)に基づく本登記手続をせよ。
4 訴訟費用は第一、二審を通じ、本訴反訴とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第二事案の概要
一 当事者間に争いのない事実
1 本件土地は、もと訴外菊岡厚(以下「厚」という。)の所有であったところ、同人は、昭和五五年三月一六日に死亡し、被控訴人がその権利義務を承継した。
2 厚は、昭和四五年八月二〇日、訴外辰己不動産株式会社(以下「訴外会社」という。)との間で、本件土地を農地法五条所定の許可を条件として売り渡す旨の契約を締結し(以下「本件売買契約」という。)、同月二一日、同社のため本件仮登記がなされた。
3 訴外会社は、同月二六日、控訴人補助参加人(以下「補助参加人」という。)に対し、本件売買契約上の買主たる地位を売り渡し、原判決添付別紙登記目録二記載の移転登記(以下「本件付記一号登記」という。)がなされ、次いで補助参加人は、昭和四六年六月一〇日、日本住宅公団に対し、右買主たる地位を売り渡し、同登記目録三記載の移転登記(以下「本件付記二号登記」という。)がなされた。
4 日本住宅公団は、昭和五六年一〇月一日、住宅・都市整備公団法(昭和五六年法律第四八号)付則六条一項により解散し、同日控訴人が設立され、日本住宅公団の一切の権利義務を承継した。
5 本件土地は、本件売買契約当時、市街化調整区域にあったが、平成三年三月二六日、千葉県告示第三〇八号により市街化区域に編入され、その旨同日付け千葉県報に掲載された。
二 被控訴人の主張
控訴人の被控訴人に対する農地法五条に基づく知事に対する許可申請協力請求権(以下「本件許可申請協力請求権」という。)は時効により消滅したため、結局、本件売買契約は、法定条件の不成就が確定したことにより、無効となったので、被控訴人は、控訴人に対し、所有権に基づき、実体関係に符合しない本件仮登記の抹消登記手続をすることを求める。
三 控訴人及び補助参加人の主張(以下「控訴人らの主張」という。)
1 (時効の不適用)
控訴人の本件仮登記に基づく本登記手続請求権はいわゆる物権的請求権であるから、民法一六七条の消滅時効の適用はなく、したがって、これに随伴する知事に対する許可申請協力請求権も同様に時効にかからないものというべきである。
2 (消滅時効の期間及びその起算点)
右知事に対する許可申請協力請求権が債権的請求権であり、消滅時効の適用があるとしても、その時効期間は一〇年でなく、二〇年と解すべきである。
また、厚と訴外会社との間で本件売買契約が成立した際、本件土地につき将来転用許可が得られる見込みが生じたときに許可申請をする旨の合意があったのであるから、時効の起算点も、右転用の見込みが生じた時とすべきであり、したがって、本件土地が市街化調整区域内にある限り、右許可を得る見込みがないので、消滅時効はいまだ進行しないものと解するのが相当である。
3 (本件土地の非農地化)
厚及びその子で相続人である被控訴人は、厚が訴外会社に対して本件土地を売り渡した昭和四五年以降、同土地を全く耕作しておらず、占有も自発的に放棄して何ら管理行為をしないまま荒れるにまかせていたもので、本件土地は数年を経ずして葦や薄が群生する雑種地となり、遅くとも昭和五六年ころには本件土地は非農地化し、これにより控訴人は本件土地について完全な所有権を取得したものである。
4 (消滅時効の中断―債務の承認)
(1) 厚は、補助参加人が日本住宅公団に対して本件売買契約上の買主たる地位を譲渡した昭和四六年六月、同公団に対し、農地法五条の許可申請手続及び所有権移転登記手続に協力することを約した。
(2) 厚は、日本住宅公団の代理人である補助参加人から、本件土地の固定資産税立替分のうち、昭和四七年五月一一日に同四五年八月二六日から同四七年度分までを、また、昭和四八年九月一〇日に同年度分をそれぞれ受領した。
5 (時効利益の放棄)
被控訴人は、昭和六一年三月三日、控訴人の代理人である補助参加人に対し、同日以前及びそれ以後における本件土地に対する固定資産税、国民健康保険税、町会費の支払を請求し、あわせて昭和五六年から同六〇年までの五年間及び同六一年以降控訴人に本件土地の所有権移転登記をするまでの間の公課証明書交付の申請及びその受領を委任していることが認められ、右は、本件土地につき被控訴人に農地転用許可申請協力に応ずべき義務の存在についての黙示の承認があったものというべく、これが右請求権についての時効利益の放棄に該当することは明らかである。
6 (時効援用権の濫用等)
被控訴人の時効の援用は、次の理由により信義則に反し権利濫用として許されないものというべきである。すなわち、①厚は、訴外会社より本件土地の売買代金全額を受領していること、②本件売買契約が締結された際、当事者間において、本件土地について将来農地転用許可が得られる見込みが生じたときに許可申請をする旨の合意があり、したがって、右許可までに相当の月日がかかることを熟知し、予想していたこと、③厚は離作する意思で本件土地を売却したものであり、本件土地の占有も契約後買主側に移転していること、④被控訴人は、将来本件土地において営農する見込みがなく、控訴人に本件土地の所有権移転登記手続をすることを予定していること、⑤被控訴人の本件消滅時効の援用を認めると、被控訴人は、再び本件土地を転売し、本件と同じ事態が繰り返されるだけであり、このような時効の援用を安易に認めれば、その影響が全国に及ぶおそれがあり、農地及びかつて農地であった土地の適正な取扱を誤ることになること等の事情に照らすと、被控訴人の時効の援用は許されないものと解するのが相当である。
7 本件土地は、本件売買契約当時、市街化調整区域内に存していたが、農地法五条一項三号、同法施行規則六条の二、三によれば、市街化区域内にある農地については、あらかじめ都道府県知事に届け出れば、転用目的のための権利移動が可能であったところ、その後、昭和四七年一二月六日に農地法施行規則が改正され、農地法五条一項四号、同法施行規則七条一四号により、地方公共団体、控訴人、地方住宅供給公社、土地開発公社等が、市街化区域内にある農地につき転用を目的とする権利移転を受ける場合には、農地法五条一項本文の適用が除外され、都道府県知事又は農業委員会への届出さえ不要となったものであり、したがって、本件土地が将来市街化区域に編入されれば、条件が成就し、本件仮登記に基づく本登記手続請求権を取得するのであるから、仮に前記農地転用許可申請協力請求権が時効により消滅したとしても、依然として本件売買契約は存続しており、したがって、本件仮登記を維持しておく法的利益ないし必要性がある。
8 (当審における新主張)
(1) 本件土地は、前記のとおり、平成三年三月二六日に市街化区域に編入されたことに伴い、控訴人は本件土地につき完全なる所有権を取得したものというべきであるから、被控訴人は、本件仮登記に基づく本登記手続の義務がある。
(2) 仮に、本件許可申請協力請求権が時効により消滅したとしても、右のとおり、本件土地はすでに市街化区域に編入され、本件土地の所有権は完全に控訴人に帰属していることと前記6の事情を合わせ考えると、被控訴人の本件仮登記の抹消登記請求は権利の濫用に当たり許されないというべきである。
第三争点に対する判断
一 控訴人ら主張1、2について
農地転用を目的とする農地の売買において、買主が売主に対して有する農地法五条所定の知事に対する許可申請協力請求権は、所有権に基づく登記請求権に随伴する権利ではなく、右売買契約に基づく債権的請求権であり、民法一六七条一項の債権に当たると解すべきであって、右請求権は、特段の事情がない限り、売買契約成立の日から一〇年の経過により時効によって消滅するものというべきところ、厚と訴外会社との間で本件売買契約を締結するにあたり、本件土地につき将来転用許可が得られる見込みが生じたときに右許可申請をする旨の合意があったことを認めるに足りる証拠はないから、結局、控訴人らの主張1、2は、いずれも理由がないというべきである。
二 同3について
《証拠省略》によれば、本件土地は、遅くとも昭和四七年ころ耕作を中止して以来二〇年近くが経過していることが認められるけれども、他方、市原市農業委員会の調査嘱託に対する回答書によれば、本件土地は現在耕作が放棄された葦・薄等が群生し、荒地となっているものの、いまだ農地復元は可能な状態にあることが認められ、その他本件土地の現況が非農地化していることを認めるに足りる証拠はない。
三 同4について
仮に、控訴人の主張するような事実が存在し、それが消滅時効の承認に当たるとしても、本訴は、右承認の時からすでに一〇年を経過したのちに提起されていることが本件記録上明らかであるから、被控訴人の消滅時効の主張に対する抗弁としては理由がない。
四 同5、6について
1 当事者間に争いのない事実及び《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 訴外会社は、本件土地を取得すべく、厚の長男であり、その代理人でもあった被控訴人と売買交渉を行った結果、昭和四五年八月一一日、厚との間で本件土地を代金二七〇万円で買い受ける旨の合意が成立し、同月一二日に内金として一四〇万円を、同月二〇日に残金として一三〇万円をそれぞれ支払い、同日正式に本件売買契約を締結したが、所有権移転登記については、本件土地が農地であり、農地法五条の許可が売買の効力要件となる関係で、本登記請求権の順位保全のため、翌二一日付けで訴外会社のため本件土地につき本件仮登記を経由したこと、その後、本件売買契約上の買主たる地位は、訴外会社から補助参加人を経て日本住宅公団へと転々譲渡されたが、厚は、同公団が補助参加人から右買主たる地位を取得するにあたり、右地位の譲渡につき異議なく同意し、また、同公団が本件土地につき所有権の移転を受けるに必要な一切の行為(農地法五条の農地転用届出、所有権移転登記申請等)に協力する旨を約した承諾書のほか、登記承諾書にそれぞれ署名・押印してこれを同公団宛に提出した。
(2) 厚は、本件土地を訴外会社に売却し、代金全額を受領し、更に遅くとも日本住宅公団が補助参加人から買主たる地位を取得した後は、全く本件土地での耕作を放棄し、何ら手入れ等もせずに放置していたことから、雑草等が生い茂り、周辺土地の所有者らから苦情が寄せられるに及び、控訴人は、訴外団地開発株式会社に委託して本件土地を含む潤井戸地区及び周辺の土地の草刈りや見回り等の管理行為を行ってきた。
(3) 補助参加人は、厚に対し、同人がすでに支払済みである本件土地についての固定資産税及び都市計画税のうち、昭和四七年五月一一日に同四五年八月二六日から同四七年度分として九〇二円を、また、昭和四八年九月一〇日に同年度分として六七二円を支払ったものの、その後の立替支払分については精算が未了のままであったところ、昭和六一年ころ、市原市が計画中の帝京技術科学大学の排水路が本件土地にかかるため、当時所有名義人である被控訴人に対して土地の測量と同工事の同意を求めた際、被控訴人の申出により本件土地についての前記固定資産税等の立替支払分が長期間未精算のままであったことが判明した。そこで、補助参加人は、市原市役所の担当者とともに、被控訴人方を訪ね、すでに被控訴人が立替支払済みである税額等を支払いたい旨申し入れるとともに、支払済みの税額等の明細を明らかにするよう求めたところ、当時領収書等の関係資料が手元に残っておらず、そのため、納付した税額等の具体的な内容が不明であったことから、取り敢えず補助参加人において昭和五六年から昭和六〇年までの五年間分及びそれ以降控訴人に対して本件土地の所有権移転登記手続が完了するまでの間の公租公課を調査・算定する一方、右昭和五六年度以前の分についても、本来所有者が負担すべきものについては全額支払うことを約し、被控訴人から右の調査をするうえで必要な同人の委任状等を徴したうえ、調査を開始したところ、途中で被控訴人から本件許可申請協力請求権は時効により消滅したものであると主張して本訴を提起したため、結局、右の精算は未了のままである。
(4) 控訴人は、住宅事情の改善を特に必要とする都市地域において良好な集団住宅及び宅地の大規模な供給を行うとともに、健全な市街地の造成又は再開発のための市街地開発事業等を実施することを目的として設立された法人であるが、千葉県東南部地域を対象とした大規模開発構想の一環として、本件土地を含む潤井戸地区の開発事業計画を立て、千葉県及び市原市との間で、事前に協議・調整作業を進める一方、用地の先行取得として、補助参加人から本件土地の買主たる地位を取得したものの、当時同土地は市街化調整区域内にあったことから、県や市の行う地域整備計画との整合性を保ちながら開発事業を進める必要があり、そのため、県や市に対して、大学の誘致その他地域開発の気運を促進するための諸方策等を提案するとともに、地域開発に必要な条件整備に資するため各種の調査等を実施するなど、積極的な働きかけを続けてきた結果、平成三年三月に至り、ようやく本件土地を含む潤井戸地区が都市計画法上の市街化区域に編入されることとなった。以上の事実が認められる。
2 右の事実関係に照らすと、本件売買契約は、農地法五条の農地転用を目的とする売買であるところ、当時本件土地が市街化調整区域内にあったことから、同条の許可申請をしても、控訴人の計画する開発事業が県や市の進める地域整備計画と整合したものでない以上、同許可を受けることは事実上極めて困難な情勢にあり、そのため、控訴人は、本件土地取得後、潤井戸地区の開発促進を図るため千葉県や地元市原市に対して再三働きかけるなど、開発計画の実現に向けて種々努力を重ねてきた末、ようやく本件土地が市街化区域に編入されるに至ったものであり、控訴人が本件土地取得後、許可申請手続もせず、漫然と権利行使を怠っていたものではなく、その権利の不行使につき特段責められるべき事情はないこと、他方、厚及び被控訴人らは、本件売買代金全額をすべて受領しているほか、本件土地の固定資産税の一部立替え分を補助参加人から償還しており、遅くとも控訴人が本件土地の買主たる地位を取得した後は本件土地での耕作を一切放棄し、占有・管理行為もしないまま放置し、控訴人が本件土地を管理していたものであり、かかる諸事情を合わせ考えると、被控訴人が時効利益を放棄したものといえるかに関してはともかく、被控訴人が控訴人に対し、本件許可申請協力請求権について消滅時効が完成したとしてこれを援用し、実質的に本件土地の取戻しをはかることは、信義則に反し権利の濫用として許されないというべきである。
五 同7について
本件売買契約当時、本件土地は市街化調整区域内に存していたが、その後平成三年三月二六日、千葉県告示第三〇八号により市街化区域に編入され、その旨同日付け千葉県報に掲載されたことは当事者間に争いがないところ、昭和四七年一二月六日に農地法施行規則が改正され、その結果、農地法五条一項四号、同法施行規則七条一四号により、控訴人が市街化区域内にある農地につき農地転用を目的とする権利移転を受ける場合には、農地法五条一項本文の適用が除外され、都道府県知事又は農業委員会への届出も不要となったことから、結局、本件土地か右のとおり市街化区域に編入された時点で、控訴人は、同土地につき完全なる所有権を取得したものというべく、また、売買契約後における法令の変更に伴い法定条件である農地転用許可を得ることが不要になったような場合には、登記簿上に記載された条件が成就したものと同一視することが可能であり、そうすると、被控訴人に対し、条件が成就したものとして、本件仮登記に基づき本登記手続請求を求める控訴人の反訴請求は理由があるというべきである。
第四結論
以上の次第で、被控訴人の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、また、控訴人の反訴請求(当審における新請求)は理由があるからこれを認容すべきところ、右と結論を異にする原判決は相当でなく、控訴人の本件控訴は理由があるから、原判決を取り消したうえ、被控訴人の本訴請求を棄却するとともに、控訴人の反訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 時岡泰 裁判官 大谷正治 板垣千里)